第1部 アーティストの形成:YouTube以前の歩み
今日のデジタル時代において、柴崎春通の名は「おじいちゃん先生」として、世界中の何百万人もの人々に親しまれている。
しかし、その温厚な笑顔と親しみやすい指導スタイルの背後には、YouTubeというプラットフォームが登場するずっと以前から築き上げられてきた、50年以上にわたる画家としての確固たるキャリアが存在する。
彼の物語は、一夜にして名声を得た老人の話ではなく、生涯をかけて芸術に捧げた一人の職人が、その技術と情熱を新しい時代のツールに適応させた物語である。
戦後日本の千葉における芸術への目覚め
1947年、柴崎春通は千葉県夷隅郡(現いすみ市)に生まれた 。
戦後の復興期にある日本の田園風景の中で育った彼は、小学生の頃から絵を描くことに喜びを見出し、その才能は早くから教師や同級生に認められていた。
高校時代には、休眠状態だった美術部を自ら再興し、部長を務めた。
当時の顧問は日本画家の渡邉包夫氏であり、この時期に芸術への情熱はさらに深まった 。
しかし、彼の若き日は芸術一筋というわけではなかった。
中学時代には柔道に熱中し、県大会で2位という好成績を収めるほどの打ち込みようであった 。
この経験は、後に彼の芸術制作を支えることになるであろう、規律と献身の精神を育んだ。
高校卒業が近づき、多くの同級生が進学や就職の道を定める中、柴崎は進路を決めかねていた。
友人に誘われて受験した公務員試験に合格するも、最終的に彼が選んだのは芸術の道だった。
この決断は、彼の人生における最初の、そして最も重要な転換点の一つとなった 。
若き芸術家の試練と栄光
芸術家としての道を歩むことを決意した柴崎は、1966年に阿佐ヶ谷美術学園(現・阿佐ヶ谷美術専門学校)に入学し、初めて本格的な絵画教育を受けることになった 。
彼の才能は努力によって磨かれ、入学後わずか1年足らずで校内コンクールで3位に入賞するまでに腕を上げた 。
彼の次なる目標は、日本で最も権威のある東京藝術大学(藝大)への進学であった。
1次試験のデッサンには自信を持って合格したが、2次試験の油絵で壁にぶつかる。
学費と生活費を稼ぐためのアルバイトに時間を割かれ、十分な準備ができなかったのだ 。
彼は合格発表を見に行くことなく、藝大進学を断念した。
この挫折は、彼の物語をより人間味あふれるものにしている。
彼のキャリアが、常に順風満帆なものではなかったこと、そして逆境を乗り越える強さを持っていたことを示している。
その後、彼は和光大学の芸術学科に進学し、1970年(資料によっては1971年)に卒業した 。
在学中、彼は高名な画家である荻太郎氏と中根寛氏に師事し、プロの芸術家としての基礎を固めた 。
この古典的な美術教育が、後の彼の親しみやすい指導スタイルに、揺るぎない権威と深みを与えることになる。
ニューヨークでのサバティカル:キャリア中期のルネサンス
多くの人々がキャリアの安定や引退を考える年齢に差し掛かった頃、柴崎は新たな挑戦に踏み出す。
2001年、彼は文化庁の派遣芸術家在外研究員として選ばれ、アメリカへ渡った 。
50歳を目前にしたこの決断は、「もう一度、描きたいものを描いてみよう」という内なる声に導かれたものであった 。
ニューヨークで、彼は名門アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに籍を置き、研究に没頭した 。
これは単なる旅行ではなく、彼の才能が国によって公式に認められた証であった。
この経験は、彼を異なる芸術的環境に触れさせ、自信を深めさせるとともに、彼の視野を大きく広げた。
安住の地を離れ、未知の領域へ踏み出すこの意欲こそが、後に70歳でYouTubeの世界へ飛び込む彼の姿勢を予見させるものであった。
指導者としての数十年:「先生」のペルソナを磨く
柴崎のキャリアにおいて、制作活動と並行して重要な位置を占めてきたのが、絵画指導者としての役割である。
彼は長年にわたり、講談社フェーマススクールズという著名な通信制美術講座で絵画講師を務めた 。
この仕事は、単に絵を教えるだけでなく、彼の後の成功にとって決定的な意味を持つ経験となった。
通信講座では、ビデオ教材を通して指導を行う機会も多く、彼はカメラの前で話し、描きながら解説することに習熟していった 。
これは、彼のYouTubeチャンネルの形式そのものである。
遠隔地にいる生徒と効果的にコミュニケーションをとる能力、複雑な技術を分かりやすく説明する構成力、そして画面越しに温かみを伝える術は、この数十年間の指導者経験の中で培われたものだ。
彼のYouTubeでの成功は、アルゴリズムがもたらした偶然の産物ではない。
それは、熟練の職人が、長年使い慣れた道具(指導技術)を、より強力な新しい道具(YouTube)に持ち替えた結果なのである。
彼の「おじいちゃん先生」というペルソナは70歳で生まれたのではなく、数十年にわたる地道な教育活動の中で、ゆっくりと、しかし確実に形成されていったのだ 。
第2部 デジタル・イーゼル:「Watercolor by Shibasaki」の誕生
柴崎春通の物語は、70歳という年齢で劇的な転換を迎える。
伝統的な画廊や教室でキャリアを築いてきた彼が、息子の勧めでYouTubeという未知のデジタル世界に足を踏み入れたのだ。
これが、世界的な現象となる「Watercolor by Shibasaki」の始まりであった。
70歳の挑戦:息子の提案から生まれた偶然のYouTuber
2017年、柴崎は70歳でYouTubeチャンネル「Watercolor by Shibasaki」を開設した 。
きっかけは、彼の息子からの提案だった 。
このチャンネルは、当初から家族の共同作業として始まった。
柴崎がコンテンツと専門知識を提供し、息子が動画編集を担当するという役割分担である 。
しかし、その船出は決して順風満帆ではなかった。
当初は照明設備もなく、撮影した映像が真っ黒になってしまうなど、技術的な問題に直面した 。
柴崎自身、これほどまでの反響があるとは「夢にも思わなかった」と語っている 。
このエピソードは、「おじいちゃん先生」現象の成功を支える重要な力学を浮き彫りにする。
それは、世代間の協力関係である。
柴崎は、長年の経験に裏打ちされたコンテンツ、知恵、そして画面上でのカリスマ性を提供する。
一方、息子は、その才能を現代のプラットフォームに合わせてパッケージ化するために不可欠な、デジタルリテラシーと制作スキルを提供する。
この親子間の共生関係こそが、世代と技術の壁を乗り越え、彼の成功を可能にした見過ごされがちな原動力なのである。
柴崎動画の解剖学:「日本のボブ・ロス」効果
柴崎の動画は、その穏やかで優しい雰囲気によって特徴づけられる。
動画は決まって「こんにちは。お元気ですか?」という、視聴者を気遣う温かい挨拶から始まる 。
その落ち着いた語り口と、絵を描くプロセスを丁寧に分かち合うスタイルは、アメリカのテレビ画家ボブ・ロスと比較されることも多い 。
しかし、「日本のボブ・ロス」という表現は、彼の魅力の核心を捉えきれていないかもしれない。
彼の魅力は、礼儀正しさと穏やかな励ましという、日本文化特有の文脈に深く根差している。
彼の挨拶は単なる決まり文句ではなく、視聴者一人ひとりへの配慮の表明であり、瞬時に個人的なつながりを築き上げる。
この感情的な結びつきが、彼が教える技術的な指導と同じくらい重要なのだ。
さらに、彼の動画の多くには英語字幕が付いており、開設当初から国際的な視聴者を意識していたことがうかがえる 。
この配慮が、彼のメッセージが国境を越えて広がるための重要な鍵となった。
水彩から世界へ:コンテンツ戦略と多様化
「Watercolor by Shibasaki」チャンネルは、その膨大で体系的に整理されたコンテンツライブラリによって、他の多くのチャンネルと一線を画している。
動画は再生リストにまとめられ、あらゆるレベルの視聴者に対応している。
- 基礎講座:「水彩画のきほん / for beginners」や「柴崎春通の基礎から学べる水彩画」といったシリーズは、全くの初心者に向けた体系的な学習プログラムを提供する 。
- ショートチュートリアル:「5min Watercolor」シリーズは、時間のない視聴者にも手軽にインスピレーションを与える 。
- テーマ別シリーズ: 木々、動物、風景など、特定の主題に特化した再生リストが豊富に用意されている 。
特筆すべきは、彼が水彩画という枠を超え、クレヨン(オイルパステル)、色鉛筆、アクリル絵の具、鉛筆スケッチなど、様々な画材へと表現の幅を広げている点である 。
特に、100円ショップのクレヨンセットや激安のアクリル絵の具を使って傑作を描き上げる挑戦動画は、絶大な人気を博している 。
これらの動画は単なるエンターテインメントではない。
それは、「創造性は高価な道具に依存しない」という彼の哲学を体現する、力強いメッセージとなっているのだ。
グローバルな魅力の解読
柴崎の人気は、もはや国内に留まらない。
2024年半ばの時点で、彼のYouTubeチャンネルの登録者数は200万人を超え、Instagram、TikTok、中国のbilibiliなどを含むソーシャルメディア全体の総フォロワー数は340万人から380万人以上に達している 。
彼は日本を代表するシニアインフルエンサーとして確固たる地位を築き、2022年にはYouTube Japanの「国内急成長クリエイター」部門で8位にランクインした 。
彼のコンテンツがなぜ世界中の人々を惹きつけるのか。
その答えは、単なる絵画指導の枠を超えたところにある。
彼のチャンネルのコメント欄は、インターネット上では珍しく、荒れることがほとんどないと言われている 。
彼の動画は「癒し」と表現され、多くの視聴者が一日の疲れを癒すために彼のチャンネルを訪れる 。
これは、柴崎のチャンネルが、現代のデジタル社会における一種の聖域として機能していることを示唆している。
スピード、対立、不安が渦巻くインターネットの世界で、彼のコンテンツは静けさ、優しさ、そして純粋な励ましを提供する。
人々は絵の描き方を学ぶためだけでなく、穏やかで前向きな時間を体験するために彼の動画を再生するのだ。
彼の成功は、国境を越えて、優しく、肯定的で、本物のコンテンツに対する世界的な渇望が存在することの文化的な指標と言えるだろう。
第3部 柴崎メソッド:哲学、技術、そして画材
柴崎春通の芸術と教育の核心には、単なる技術指導を超えた深い哲学が存在する。
それは、誰もが創造の喜びを体験できるように、芸術の敷居を下げ、その本質的な楽しさを伝えるという一貫した姿勢である。
彼の画材の選択、技術の解説、そして根底にある考え方は、すべてこの目的に向かって統合されている。
透明水彩の極意:引き算の芸術
柴崎は、主に透明水彩の達人として知られている 。
彼は、この画材が持つ特異な性質を強調する。
油絵やアクリル絵の具とは異なり、透明水彩では明るい色から暗い色へと描き進めなければならず、最も明るいハイライトは絵の具を塗らずに紙の白地を残すことで表現する 。
これは、描く前に完成図を頭の中で詳細に計画する必要があることを意味する。
彼は、透明水彩の「醍醐味」を「用紙の“白”を巧みに残しながら、手早く色をのせていく技術」だと語る 。
彼のデモンストレーションでは、しばしば1本の丸筆だけで複雑な風景を描き上げることで、高度な道具が必ずしも必要ではないことを示す 。
このアプローチは、一見すると技術的に高度な「引き算」の芸術である。
しかし、彼はそのプロセスを、色の「にじみ」が生み出す魔法のような効果に焦点を当てて解説することで、難解さを魅力へと転換させる 。
クレヨン革命:身近な画材の昇華
近年、柴崎の活動で特に注目されるのがクレヨンへの取り組みである 。
彼は、透明水彩が初心者にとっては心理的なハードルが高いことを認識していた 。
そこで彼が着目したのが、多くの人が幼い頃に親しんだクレヨンだった。
クレヨンは不透明で重ね塗りが可能なため、修正が容易で、初心者にも扱いやすい 。
彼がクレヨンで描く動画は大きな反響を呼び、その人気は大手文具メーカーぺんてるとの共同開発によるプロ仕様の「アートクレヨン」の誕生へと繋がった 。
さらに、彼がセレクトした16色のクレヨンが付属する著書『楽しい大人のクレヨン画BOOK』は、多くの人々に新たな趣味の扉を開いた 。
これは、教育的にも商業的にも見事な戦略である。
クレヨンを主役とすることで、彼は絶対的な初心者の試みを肯定し、画材間に存在する伝統的なヒエラルキーに挑戦した。
芸術的表現とは、画材の格式ではなく、技術とビジョンによって決まるということを、彼は身をもって示したのである。
ぺんてるとの協業は、このニッチな分野における彼の権威を確立し、彼を単なる画材の使用者から、その可能性を切り拓く革新者へと押し上げた。
核心哲学「全体感」:写実力よりデザイン力
柴崎の指導法全体を貫く最も重要な概念が「全体感」(ぜんたいかん)である。
これは、個々の細部の正確さよりも、作品全体の雰囲気や構成、調和を捉えることを重視する考え方だ 。
彼は生徒たちに明確にこう伝える。
「絵っていうのはデッサン力よりもデザイン力だからね」と 。
彼の著書『全体感で描く透明水彩』シリーズも、この哲学に基づいて構成されている 。
この「全体感」という哲学は、単なる芸術技法に留まらない、創造性を解き放つための深遠な心理的ツールである。
絵を描き始める多くの人々が直面する最大の障壁は、「自分には絵が描けない」という、技術的な不完全さへの恐怖である。
柴崎の哲学は、この恐怖に真っ向から向き合う。
「デザイン」や「雰囲気」を、完璧な「写実力」よりも優先することで、彼は初心者に不完全であることを許容する。
目標を「本物そっくりに見えるか?」から「意図した雰囲気を捉えられているか?」へとシフトさせるのだ。
後者の目標は、前者よりもはるかに達成可能であり、描き手に自信と喜びを与える。
つまり、「全体感」は、創造の行為を技術的なテストから自己表現の旅へと再定義する。
それによって、学習者を完璧主義という名の麻痺から解放するのだ。
これこそが、彼の指導法がこれほどまでに効果的で、世界中の人々に愛される理由の、最も深い核心部分にあると言えるだろう。
第4部 柴崎エコシステム:画面を超えたレガシーの構築
柴崎春通の成功は、単にYouTubeでの人気に留まるものではない。
彼はデジタルでの名声を巧みに活用し、著者、展覧会アーティスト、そしてコミュニティリーダーとして、持続可能で多角的なキャリアを築き上げている。
これは、彼のペルソナを中心に構築された、洗練された「エコシステム」と呼ぶべきものである。
著者としての顔:学びのライブラリー
柴崎は、多作な美術指導書の著者でもある。
彼の著作リストは数十年にわたり、初期の水彩風景画の指南書から、近年のクレヨン画のベストセラーまで多岐にわたる 。
代表作には『透明水彩風景画を描こう』や、人気テレビ番組と連動した『NHK 3か月でマスターする 絵を描く』などがある 。
彼のYouTube動画は、しばしば自身の著書で紹介されている技法を実演する場としても機能している 。
この書籍と動画の連携は、非常に効果的な教育システムを形成している。
書籍は体系的で永続的な参考資料となり、動画は動的で個人的なデモンストレーションを提供する。
このマルチプラットフォーム戦略は、多様な学習スタイルに対応し、美術教育の分野における彼の権威をさらに強固なものにしている。
第5部「柴崎先生、そうはならんやろ」― ネットを魅了する、驚きと親しみのツッコミ
ネット上で頻繁に見られる「柴崎先生、そうはならんやろ」というフレーズ。
これは、水彩画家の柴崎春通(はるみち)先生の絵画制作動画に対して、視聴者が親しみと驚きを込めてコメントする際の定番の「お約束」である。
圧倒的な画力への感嘆
柴崎先生は、自身のYouTubeチャンネル「Watercolor by Shibasaki」などで、水彩画の描き方を丁寧に解説する動画を公開しており、「おじいちゃん先生」として国内外に多くのファンを持つ人気の画家だ。
動画は、柴崎先生の穏やかな語り口で、ごく簡単な下書きや色の塗り始めから始まる。
しかし、動画が進むにつれて、一見すると何を描いているのか分からないような状態から、魔法のように繊細で美しい風景画や動物の絵が完成するのである。
この劇的な変化、特に制作の序盤からは想像もつかないほどの写実的で美しい完成作品が現れる様に、視聴者は「(普通に考えたら)そうはならないだろう!」という驚きと、「自分も同じように描いてみようとしても、絶対にこうはならない」という感嘆の念を抱く。
この気持ちを代弁するツッコミが「そうはならんやろ」なのである。
フレーズの流行
このフレーズは、SNS、特にX(旧Twitter)などで柴崎先生の作品が紹介される際に、ユーモアを交えた賞賛の言葉として広く使われるようになった。
単なる称賛の言葉以上に、視聴者と柴崎先生の間の温かいコミュニケーションの一つとして機能しており、今や柴崎先生の動画を紹介する際のキャッチフレーズのようになっている。
この言葉には、柴崎先生の卓越した技術への尊敬の念と、その神業のようなテクニックを目の当たりにした時の素直な驚き、そして先生の温かい人柄に対する親しみが込められているのである。