METALの女王、SU-METAL:その軌跡、歌声、そして世界からの喝采

人物
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序章:女王の誕生

今日のグローバルな音楽シーンにおいて、SU-METAL、本名・中元すず香は、他に類を見ない孤高の存在として君臨しています。

彼女の物語は、単なる成功譚にとどまらず、天賦の才、音楽的な家庭環境、そして日本の厳格な育成システムが生み出した「奇跡」とも言うべき現象です。

1997年12月20日、広島県広島市に生まれた彼女は、幼少期からその才能の片鱗を見せていました。3歳でモデル活動を始め、4歳の時にはバンダイの子供向け化粧品「ジュエルドロップ」のイメージガールコンテストでグランプリを受賞するなど、早くから人前に立つことへの適性を示していました。

この幼い頃からのプロフェッショナルな経験は、後にBABYMETALとして世界中を巡る過酷なツアーを耐え抜くための精神的な基盤を形成したと考えられます。  

彼女の才能を語る上で、家族の影響は看過できません。

三姉妹の末っ子として生まれ、姉には元乃木坂46のメンバーで、現在は心理カウンセラーとして活躍する中元日芽香がいます。

姉妹が共に芸能界で活動したという事実は、家庭内に芸術的な活動を奨励する雰囲気があったことを示唆しています。

さらに重要なのは、父親の経歴です。

彼女の父親は若い頃、プロのミュージシャンを目指して上京し、「フーリガンズ」というロックバンドで活動していた経歴を持ちます。

BABYMETALのコンセプトはプロデューサーによって考案されたものですが 、SU-METALが幼い頃からメタルという特異なジャンルに驚くほど自然に適応し、説得力のあるフロントウーマンとして振る舞えた背景には、この家庭環境が大きく影響している可能性があります。

家庭内でロックやメタルミュージックに触れる機会があったことは、彼女が他のアイドル出身者とは一線を画す、ジャンルへの深い親和性を潜在的に育んでいたと推察されます。  

このように、SU-METALというアーティストは、天性の才能、音楽を愛する家族からの影響、そして後に続く厳格なプロフェッショナルとしての訓練という、三つの要素が完璧に融合して生まれた存在と言えるでしょう。

第一章:才能の萌芽 – アクターズスクール広島と可憐Girl’sの時代

中元すず香の類稀なる才能が専門的に磨かれたのは、日本のエンターテインメント業界において「才能の宝庫」と称される場所でした。

その原点こそが、アクターズスクール広島(ASH)です。

2006年、8歳の時に第4回アルパークスカラシップオーディションでグランプリを獲得し、ASHの第15期生として入学します。

このスクールは、単なる地方の養成所ではなく、Perfumeや元モーニング娘。の鞘師里保といった、後に世界的に活躍するアーティストを数多く輩出した名門です。

ASHでの訓練は、後のキャリアで必要となる歌唱力とダンスの基礎を徹底的に叩き込みました。

特筆すべきは、彼女がプロとしてのキャリアを開始した後も、中学2年生で東京に拠点を移すまでASHでの活動を並行して続けていた点です。

この事実は、彼女の並外れた労働意欲と献身性を物語っています。  

プロとしての最初の大きな一歩は、2008年に結成された小学生ユニット「可憐Girl’s」への参加でした。

このユニットは、テレビアニメ『絶対可憐チルドレン』の主題歌を歌うために所属事務所アミューズによって結成され、ASHの先輩であるPerfumeの「妹分」として紹介されました。

SUZUKA名義で参加した彼女は、武藤彩未(AYAMI)、島ゆいか(YUIKA)と共に活動し、「Over The Future」や「MY WINGS」といったシングルをリリースします。

当時の評価として、メディアは「子供とは思えないほどの歌唱力と、見応えのあるダンス」と称賛しており、この時点で既に彼女のボーカルの非凡さは際立っていました。  

可憐Girl’sは、アニメの放送終了に伴い2009年3月に予定通り解散しますが 、この活動は後のBABYMETALの成功における重要な試金石であったと分析できます。

同じ所属事務所であるアミューズが、若くカリスマ性のあるパフォーマーと、従来のアイドルソングとは一線を画すエネルギッシュな楽曲(この場合はアニソン)を組み合わせるというコンセプトの市場における有効性を試す、いわばプロトタイプとしての役割を果たしたのです。

このプロジェクトの成功、特にその中で際立った中元すず香のパフォーマンスは、プロデューサーであるKOBAMETALが、より過激な融合である「アイドルとヘヴィメタル」というBABYMETALの構想に確信を抱くきっかけとなった可能性は高いでしょう。  

第二章:さくら学院での飛躍とBABYMETALの黎明

可憐Girl’sとしての活動を終えた中元すず香は、彼女のキャリアにおいて最も重要な転換期を迎えます。

それが、成長期限定ユニット「さくら学院」への参加と、その内部ユニット「重音部 BABYMETAL」の誕生です。

2010年、彼女は「学校生活とクラブ活動」をテーマにしたアイドルグループ、さくら学院のオリジナルメンバーとして活動を開始します。

このグループは、メンバーが実生活の中学校を卒業すると同時にグループからも「卒業」するというユニークなシステムを採用していました。

この「期間限定」というコンセプトは、各メンバーとその活動に一種の切迫感と物語性を与えました。

中元すず香は、その卓越したパフォーマンスと人間性で頭角を現し、最終学年となった2012年度には、グループのリーダーである「2代目生徒会長」に就任します。

この経験は、単なるアイドル活動にとどまらず、グループを牽引するリーダーシップと責任感を育む重要な機会となりました。

このリーダーとしての資質は、後にBABYMETALの絶対的センターとして、グループ全体を背負って立つ彼女の姿に直接的に繋がっていきます。  

さくら学院の「クラブ活動」というコンセプトの中で、歴史を動かすユニットが産声を上げます。

プロデューサーKOBAMETALの発案により、「アイドルとメタルの融合」をテーマに掲げた「重音部」が結成され、BABYMETALと名付けられました。

中元すず香はSU-METALとしてリードボーカルに抜擢され、同じくさくら学院のメンバーであった水野由結(YUIMETAL)と菊地最愛(MOAMETAL)がスクリーム&ダンスを担当する形で、3人体制がスタートしました。

2010年11月28日、さくら学院の単独ライブで初めて「ド・キ・ド・キ☆モーニング」を披露したこの日が、BABYMETALの事実上の誕生日とされています。  

2013年3月31日、中元すず香はさくら学院を卒業します。

従来のルールであれば、所属するクラブ活動(BABYMETAL)も同時に活動を終了するはずでした。

しかし、BABYMETALは既にさくら学院の一ユニットという枠を大きく超える人気と注目を集めていました。

その結果、グループはさくら学院から独立し、本格的な活動を継続するという異例の決定が下されます。

さくら学院の「卒業」という宿命を乗り越え、独立した存在として生き残ったという事実は、BABYMETALが他のどのユニットとも異なる、強力な求心力と可能性を秘めていたことの何よりの証明です。

この瞬間、アイドル中元すず香は、メタルボーカリストSU-METALとして、世界へと羽ばたく新たな一歩を踏み出したのです。  


表1:中元すず香 / SU-METAL 主要経歴年表

年齢主要な出来事所属
1997012月20日、広島県に誕生
20068アクターズスクール広島(ASH)に入学 ASH
20079アミューズ第2回スターキッズオーディションで準グランプリ受賞 アミューズ
200810ユニット「可憐Girl’s」のメンバーとしてデビュー 可憐Girl’s
200911可憐Girl’s 活動終了
201012成長期限定ユニット「さくら学院」の結成メンバーとなる さくら学院
201012さくら学院のクラブ活動「重音部 BABYMETAL」を結成 BABYMETAL
201214さくら学院の2代目生徒会長に就任 さくら学院
2013153月31日、さくら学院を卒業。BABYMETALは独立したユニットとして活動継続 BABYMETAL
201416日本武道館での2DAYS公演を女性アーティスト史上最年少で達成 BABYMETAL
201416イギリスの巨大メタルフェス「Sonisphere Festival」に出演 BABYMETAL
201618東京ドームでの2DAYS公演を成功させる BABYMETAL
202325MOMOMETALが正式メンバーとして加入し、新体制がスタート BABYMETAL

第三章:SU-METALの歌声 – 天賦の才と進化の軌跡

SU-METALの最も称賛される資質、それは間違いなく彼女の歌声です。

その声は、BABYMETALという前代未聞のプロジェクトを成立させるための絶対的な核であり、世界中のファンと批評家を魅了し続けています。

彼女のボーカルの最大の特徴は、ビブラートをほとんど使わない、どこまでも真っ直ぐで透明感のある歌唱法にあります。

このストレートな歌声は、文脈によってその意味合いを劇的に変化させる、驚くべき多様性を持っています。

例えば、初期の楽曲「ド・キ・ド・キ☆モーニング」では、その歌声は若々しさや「カワイイ」純真さを表現します。

一方で、「Road of Resistance」のような壮大なアンセムでは、同じストレートな歌唱法が、揺るぎない決意や気高い威厳を帯びた力強い宣言へと昇華されます。

このように、彼女の基本的なボーカルスタイルそのものが、「カワイイ」と「メタル」という相反する世界観を繋ぐ音の架け橋となっているのです。  

その声の力強さは、数々の逸話によって証明されています。

ヘヴィメタルの爆音の中でも決して埋もれることなく、突き抜けてくる声量と明瞭さは、ライブを体験した者すべてが認めるところです。

あるライブ会場のリハーサルでは、防音壁を越えて楽器の音よりも彼女の歌声が外に漏れ聞こえてきたという話もあるほどです。  

彼女のボーカルは、キャリアを通じて絶えず進化を遂げてきました。

初期の歌声は、天使のようと評される清らかなものでしたが、ワールドツアーを重ねるにつれて、より低音域が安定し、芯の太い「鋼のような」力強さを獲得していきました。

これは、世界中の巨大なメタルフェスティバルのステージで、屈強なメタルファンを相手に歌うという経験が、彼女の声に新たな次元をもたらした結果と言えるでしょう。

近年では、地声一辺倒ではなく、裏声やミックスボイスを巧みに取り入れるなど、表現の幅をさらに広げており、ボーカリストとしての成熟と、長期的なキャリアを見据えた発声技術の探求がうかがえます。  

この実力は、音楽界の権威からも認められています。

特に象徴的なのは、2016年にわずか18歳で、ヘヴィメタルの伝説であるジューダス・プリーストのロブ・ハルフォード本人と共演し、彼の楽曲を見事に歌い上げたことです。

これは、彼女が単なるアイドルではなく、世界レベルのメタルボーカリストであることを「メタルゴッド」自らが証明した瞬間でした。

また、YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」で披露した「Monochrome」のピアノバージョンは、彼女の技術的な洗練度を改めて世に知らしめました。

バンドサウンドの中では聴き取りにくい繊細なニュアンスや高度なボーカルコントロールが剥き出しになり、多くのボーカルコーチや専門家から絶賛の声が上がりました。  

時に、長時間の過酷なライブで特定の高音パートなどにバッキングトラックが使用されることについてファンの間で議論されることもありますが 、これは技術不足の証明ではなく、むしろトップクラスのパフォーマーがツアーを完遂するための声帯管理という、極めてプロフェッショナルで現実的なアプローチと捉えるべきです。  

第四章:魂のダンス – 感情を体現するパフォーマンス

SU-METALを語る上で、その歌声と並んで不可欠なのが、観る者を圧倒するダンスとステージでの存在感です。

彼女のパフォーマンスは、単なる振り付けの再現ではなく、楽曲の感情を肉体で表現する芸術と言えます。

このユニークなスタイルを最も深く理解しているのが、BABYMETALやPerfumeの振り付けを手掛けるMIKIKO氏です。

彼女はSU-METALのダンスを「本能的」と評し、「今まで見たことのないグルーヴ感」「いい意味で外人っぽく本能で踊る感じ」と絶賛しています。

MIKIKO氏によれば、SU-METALは振り付けをカウントではなく「音で覚える」タイプであり、そのために彼女の動きには独特の躍動感が生まれるのです。  

彼女の長い手足を生かしたダイナミックな動きは、ステージ上で圧倒的な視覚的インパクトを与えます。

BABYMETALのフォーメーションにおいて、YUIMETALとMOAMETAL(現在はMOMOMETAL)が正確無比なシンクロダンスで観客を魅了する「ダンサー」であるのに対し、SU-METALの役割は根本的に異なります。

彼女のダンスは、歌声の延長線上にあり、楽曲の持つ物語性や感情の起伏を体現する「表現者」としての役割を担っています。

MIKIKO氏が「(他のメンバーと)合わせるのが難しい」と語るように 、彼女のダンスは意図的に個性的で、感情の赴くままに「120%の力で」踊るスタイルです。

両脇を固める二人の完璧なシンクロが視覚的なフレームを作り出すことで、中央に立つSU-METALの情熱的で自由なパフォーマンスが一層際立つという、計算され尽くした演出構成になっているのです。

彼女は女王であり、両脇の二人はその威光を示す近衛兵のような関係性と言えるでしょう。  

キャリア初期においては、ボーカルの安定性を最優先するため、彼女のダンスは意図的に制限されていました。

しかし、経験を積み、MOMOMETALを迎えた新体制になってからは、振り付けの自由度と複雑性が増し、より生き生きと、そして楽しそうに踊る姿が見られるようになりました。

これは、激しいダンスとパワフルなボーカルを同時に、かつ高いレベルで両立できるオールラウンドなパフォーマーへと彼女が完全に進化したことを示しています。  

第五章:世界がひれ伏す歌姫 – 海外からの評価と反応

BABYMETAL、そしてSU-METALが世界的な現象となった過程は、当初の「ネット上の珍しい存在」から、音楽シーンで確固たる地位を築くまでの壮大な物語です。

その中心には、常にSU-METALの圧倒的なパフォーマンスがありました。

海外のライブレビューでは、一貫してBABYMETALのステージが「高エネルギーで壮観」「信じられないほど楽しい」と絶賛されています。

その中でも、SU-METALの存在は常に賞賛の的です。

「侮れない力(a force to be reckoned with)」

「水晶のようにクリアな声(voice as clear as crystal)」

「群衆を意のままに操る(command of the masses second to none)」

といった言葉で評され、激しい振り付けをこなしながら完璧なボーカルを維持する能力に、多くの批評家が驚嘆しています。

海外のファンは彼女に畏敬の念を込めて「Queen(女王)」や「Goddess(女神)」といった愛称を付けており、そのカリスマ性が国境を越えて深く浸透していることがわかります。  

彼女たちの成功物語において決定的に重要だったのは、ヘヴィメタルという、時に排他的とも言われるコミュニティの重鎮たちから受け入れられたことです。

この「門番からの承認」が、BABYMETALを単なる一過性のギミックではなく、正当なアーティストとして認知させる上で極めて重要な役割を果たしました。

その筆頭が、メタリカです。

ドラマーのラーズ・ウルリッヒは早くから関心を示し、2013年のサマーソニックで彼女たちのステージを観覧しています。

後にBABYMETALはメタリカのツアーに帯同し、SU-METALが「私たちにとって神のような存在」と語る彼らとステージを共にしました。

バックステージでカーク・ハメットがギターを教える姿や、メンバー全員での記念写真は、彼らが温かく受け入れられたことを象徴しています。  

ロブ・ハルフォードとの共演が彼女のボーカリストとしての実力を証明したように、メタリカからの支持は、BABYMETALがメタル界で活動するための「お墨付き」を与えました。

当初は懐疑的だったメタルファンも、尊敬するレジェンドたちが認めるのであれば、と耳を傾けるきっかけになったのです。

レディー・ガガのツアーのオープニングアクトに抜擢されたことや 、Red Hot Chili Peppersの世界ツアーに同行したこと、トム・モレロ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)のような異ジャンルの大物とコラボレーションしたことも彼女たちの影響力と普遍的な魅力を証明しています。  

当初は懐疑的だった批評家たちも、その音楽性の高さ、プロダクションの質、そして何よりもSU-METALの比類なき才能の前には、最終的に称賛を送らざるを得ませんでした。

SU-METALのパフォーマンスこそが、この奇想天外なプロジェクトを世界的な成功に導いた原動力であることは、今や誰もが認めるところです。

彼女は、従来の「メタル・フロントマン」の定義を根底から覆し、力強さや威厳が、伝統的な男性的アグレッションだけでなく、気品、正確さ、そして圧倒的な歌唱力によっても表現できることを全世界に示しました。  

終章:伝説は続く

広島のスクールで歌とダンスを学んだ一人の少女、中元すず香が、SU-METALとして世界の巨大なステージに立ち、音楽の歴史にその名を刻むまでの軌跡は、まさに現代の神話です。

彼女は「カワイイメタル」という新たなジャンルを開拓し 、アイドルとメタルという水と油のような文化を見事に融合させ、世界中の聴衆を熱狂させました。  

SU-METALの功績は、単に音楽的な成功にとどまりません。

彼女は、ジャンル、文化、そして既成概念の壁を打ち破り、新しい表現の可能性を提示した文化的なアイコンです。

彼女の存在は、ヘヴィメタルの境界線を押し広げ、まったく異なる要素を組み合わせることで、いかに新しくパワフルな芸術が生まれ得るかを証明しました。

そして、彼女の伝説はまだ終わっていません。

近年では、「Divine Attack – 神撃 -」や「White Flame」といった楽曲で初めて作詞にもクレジットされ、パフォーマーとしてだけでなく、クリエイターとしての新たな側面も見せ始めています。

これは、彼女がキャリアの新たなフェーズに入り、より深い自己表現を追求し始めたことを示唆しています。

世界的なスターダムを確立した今もなお、彼女は自身の芸術を磨き続けているのです。

SU-METALの物語は完結したわけではなく、今この瞬間も、新たな章が紡がれ続けています。